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にっぽん自動車ぶらり旅
~インプレッサWRX STi編~

山の辺の道を歩く

2015年05月03日~07日

05月03日(日)・04日(月)

河内長野市を通り高野山を上る

 2015年の5月は大阪と奈良を目指して旅した。同じ紀伊半島でも三重県と和歌山県は本州最南端を目指す過程で通ることもあるのだが、私にとって奈良県と大阪府は、これを目的としない限り通ることはないといえる。

 出発したのは05月03日の夜中。大阪府は大阪市付近の都市部に見所が集中しているが、ゴールデンウィーク中ということもあり相当の混雑が予想された。そこで都市部には近付かず和歌山県寄りの河内長野市へ向かうことに。

 河内長野市に入った時間が相当早かったので、勢いに乗って和歌山県に入り高野山を上った。結局この日は、三重県・奈良県・大阪府・和歌山県と紀伊半島の1府3県を全て走破したことになる。

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長野市~桑名市

出発 出発(22時47分) 2015年ゴールデンウィークの旅は奈良に向かうことに。この年の3月、北陸新幹線が石川県金沢まで開通したことにより北陸が旬であったことであるし、長野市も7年に1度の善光寺の御開帳。早朝に出発して善光寺に参拝、金沢を目指すルートを直前まで考えていたのだが…。

 しかし2015年のゴールデンウィーク、金沢には全国から(は言い過ぎか?)人が集い大混雑になることは予想するに容易い事実。迷った挙句に結局、北陸を避けて奈良・大阪方面を目指したという訳。

 余談はさておき、いよいよ出発。写真のトリップメーターは78.1kmを示しているが、これは前回給油時からの走行距離。ここから出発であります。既に23時近かったのだが、外気温計は22℃。この時期としては、かなり暑い。

 今回の旅はひたすら国道19号を進むルート。国道19号は私が西へ向かう際、非常によく使う道なので詳しくは省略させて頂くが、長野市、大町市、生坂村(いくさかむら)、安曇野市(あづみのし)、松本市を経由して塩尻市に至る。ちなみに松本市へ入った直後に日が変わり04日月曜日になっている。

高出信号 1:高出信号(00時29分) 塩尻市に入ると高出信号に達する。松本市側から高出信号に進むと国道19号は右(西)に曲がって中山道となり、木曽・岐阜県方面へと進む。私も右折して国道19号を進み続けた。

 ちなみに高出信号を左折(東)すると国道20号諏訪・山梨県方面、直進(南)すると国道153号伊那・飯田・愛知県方面へと進む。 地図1:高出信号

 ところで今回の旅からドライブレコーダーをユピテルのDRY‐FH95Wに代替えした。上の「高出信号」写真はDRY‐FH95Wで撮影したものだ。今までは同じユピテルのDRY‐R5を使っていたのだが、画像が悪すぎてホームページでは使いづらかったので、画像のキレイな機種に代替えしたというわけ。しかし両機種ともGPSが搭載されているので撮影しておけば通った場所が後から分かるのは便利。

岐阜県に突入 2:岐阜県に突入(01時50分) 高出信号を右折すると国道19号は木曽路を進む。塩尻市・木祖村・木曽町(きそまち)・上松町(あげまつまち)・大桑村・南木曽町(なぎそまち)を通過、岐阜県中津川市に至る。 地図2:岐阜県に突入

 岐阜県に入ってからも国道19号を走り続ける。国道19号は中津川市を通過すると恵那市・瑞浪市(みずなみし)・土岐市(ときし)を経由して多治見市に至る。

3:内津トンネル(02時54分) さて多治見市を進むと国道19号は内津峠に至る。内津峠は岐阜県と愛知県の県境にある峠だが、国道19号は内津トンネルが通っているので簡単に通過することが可能。内津トンネルを通過すると、愛知県春日井市に突入。 地図3:内津トンネル

 愛知県に入った時、時間はすでに03時近かった。そろそろ仮眠をとりたい所ではあったが、この日は夜が明ける前に名古屋を通過したい気持ちが強かったので、もう少し頑張ることに。国道19号は春日井市を通過すると、いよいよ名古屋市に入った。

4:小川信号 小川信号で国道19号は右へ進むが私は直進して国道153号に入った。長野市を出発してから走り続けてきた国道19号とも、いよいよお別れ。 地図4:小川信号

葵町西信号 5:葵町西信号(03時27分) 国道153号に入ったのも束の間。すぐに葵町西信号を右折して錦通に入った。 地図5:葵町西信号

6:東新町北信号 さて国道153号に入った直後、錦通に入ったものの、錦通もあっという間に離脱。東新町北信号を左折して空港線に入った。 地図6:東新町北信号

7:松田信号 空港線に入ると今までとは打って変わって赤信号に捕まりまくった。既に時間は03時を過ぎ、眠気と戦いながら進み続ける。やがて松田信号を直進。国道1号に入った。 地図7:松田信号

葵町西信号 8:前浜通信号(03時46分) 国道1号に入ってしばらく走り前浜通信号で右折。環状線に入った。環状線に入ると次は北頭信号で右折。国道23号名四国道へ。ここからは真っ直ぐ三重県を目指す。 地図8:前浜通信号

 国道23号は名古屋市を通過すると更に飛島村(とびしまむら)を通過して、三重県木曽岬町(きそさきちょう)に入った。

サンクス名四桑名店 9:サンクス名四桑名店(04時11分) 国道23号は木曽岬町を通過すると桑名市に入る。時間は既に04時過ぎ。眠気も最高潮に達しつつあった。当初の目標であった夜明け前に“名古屋市を通過”することは成し遂げたのでそろそろ休みたいところであるが…。ちょうどサンクス名四桑名店があったので、買い物がてら少し休ませてもらうことに。 地図9:サンクス名四桑名店

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桑名市~河内長野市

 サンクス名四桑名店に着くと眠気を抑えられずに仮眠。約1時間ほどで目が覚めた。辺りは既にすっかり夜が明けていた。この先のことを考えて眠気対策のためコーヒーを購入。05時14分にサンクス名四桑名店を出発。

大里町信号 10:大里町信号(05時32分) サンクス名四桑名店を出発して間もなく名四国道は桑名市を通過して川越町(かわごえちょう)へ。更に川越町を通過すると四日市市に至る。四日市市で側道に下りて大里町信号を右折。国道25号に入った。 地図10:大里町信号

 国道25号に入って間もなく、大治田ICで国道1号と接続する。ここからは国道1号と25号の重複区間。

11:名阪国道亀山IC 国道1号に接続して間もなく鈴鹿市に入った。その後、鈴鹿市を通過して亀山市へ。亀山市に入ると国道1号は名阪国道亀山ICに接続。ここで国道25号と分岐するのだが、国道25号は名阪国道となる。ここから私は名阪国道を進んだ。 地図11:名阪国道亀山IC

天理東IC 12:天理東IC(06時38分) 名阪国道は亀山市を通過すると伊賀市に入る。そして、ついに奈良県山添村へ。山添村を通過すると奈良市に入り、更に天理市へ。その後、一時奈良市に戻るが再び天理市に入る。天理市に入ると天理東ICで名阪国道を下りて奈良県道51号天理環状線に入った。 地図12:天理東IC

布留信号 13:布留信号(06時40分) 奈良県道51号に入って間もなく布留信号に至る。ここは翌日に歩くことになるのだが、天理駅から石上神宮(いそのかみじんぐう)に向かう過程で通る。ちなみに直進すると奈良県道51号のまま。石上神宮に達する。しかし私は布留信号で右折。奈良県道51号を離脱して市道に入った。 地図13:布留信号

 余談であるが、山の辺の道における重要地点とも言える石上神宮(いそのかみじんぐう)のすぐ側である布留信号を通過したのは06時40分。予想よりも相当早かったとはいえ、初日から山の辺の道を歩くことは時間的に十分可能であった。しかし、敢えて初日を大阪方面に向かって山の辺の道を2日目にしたのは天気のため。天気予報によると、出発前から初日は雨、2日目が晴れと予想されていたのだ。事実、初日は雨、2日目は晴天であった。天気予報を信じて良かった。

嘉幡町信号 14:嘉幡町信号(06時48分) 布留信号を右折して市道を直進すると川原城町信号に至るが、ここは直進し続ける。ここから国道25号。その後も直進し続けると間もなく嘉幡町信号に至り、ここで右折。ここから国道25号は国道24号との重複区間となる。 地図14:嘉幡町信号

横田町信号 15:横田町信号(06時53分) 嘉幡町信号を右折して少し走ると、天理市から大和郡山市に入る。大和郡山市に入ると横田町信号で左折。この信号で国道24号とは分離。しばらくは国道25号を進み続けることになる。 地図15:横田町信号

大阪府突入 16:大阪府突入(07時15分) その後、国道25号は大和郡山市を通過すると斑鳩町(いかるがちょう)、王子町(おうじちょう)を経て、いよいよ大阪府柏原市(かしわらし)に突入。時間は07時を過ぎていた。 地図16:大阪府突入

国分信号 17:国分信号(07時23分) 柏原市に入って間もなく国分信号に至る。ここで左折して国道25号を離脱。大阪府道・奈良県道12号堺大和高田線に入った。 地図17:国分信号

沢田信号 18:沢田信号(07時30分) 大阪府道・奈良県道12号に入ると柏原市から藤井寺市へ。藤井寺市で沢田信号に至り左折する。沢田信号を左折すると国道170号外環状線に入った。

 ところで、この付近は古市古墳群(ふるいちこふんぐん)と呼ばれ応神天皇陵をはじめとする大型前方後円墳などの古墳が集中している地域。特に立ち寄りはしなかったのだが。 地図18:沢田信号

原町北信号 19:原町北信号(07時54分) その後、国道170号外環状線をしばらく走り続けて羽曳野市(はびきのし)、富田林市(とんだばやしし)を経由、河内長野市(かわちながのし)へ。河内長野市で外環状線を降りて原町北信号を左折。国道310号高野街道に入った。 地図19:原町北信号

20:上田町北信号 高野街道は本町(七つ辻)信号で国道371号に変わるが、そのまま直進。間もなく上田町北信号に至る。ここで右折して市道に入った。すると右側に烏帽子形公園(えぼしがたこうえん)があるのだが、ここの駐車場に駐車。公園内を散策する。 地図20:上田町北信号

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烏帽子形公園

烏帽子形公園駐車場 21:烏帽子形公園駐車場(07時59分) 烏帽子形公園(えぼしがたこうえん)の駐車場に到着。写真は到着時のトリップメーターであるが、出発してから既に451.7kmを走っていた。 地図21:烏帽子形公園駐車場

 ところで烏帽子形公園は長野市を出発する際から最初の目的地として予定していた。

 この日に奈良県天理市の天理駅付近を通過したのは06時40分頃。山の辺の道の散策は天理駅から出発するつもりだったので、時間のことだけで言えば初日に山の辺の道を歩くことも十分に可能であった。

 しかし、出発前から天気予報では初日の05月04日は雨。翌日の05日が晴れと予想されていたのだ。そこで初日は奈良県を通過して大阪府に行き、翌日に山の辺の道を歩くことにしたといわけ。

 最初は大阪市方面に出て大阪観光をしようかとも思ったのだが、やはり混雑が嫌で都市部を避けてしまった。で、行き先に選んだのが河内長野市。私が住んでいるのは長野県の長野市なので、名前で選んだ面もある。

烏帽子形公園案内図 烏帽子形公園案内図(08時02分) 駐車場付近にある公園の案内図。

 河内長野市を行き先に決めると、インターネットで何かないか探してみた。そこで発見したのが烏帽子形公園。城跡に造られた公園のようで面白そうだったので来てみた。

あめんぼ小径 あめんぼ小径(08時04分) 散策を開始。駐車場の奥に山へ登っていく道があったので進んでみた。「烏帽子形公園案内図」によると、この道は「あめんぼ小径」と思われる。

こなら広場標識 こなら広場(08時11分) 散策路に入っていくと、思いの他かなりの山道で大変だった。もちろん人の気配は全くない。デジカメで撮影した「烏帽子形公園案内図」を頼りに進んでいくが、何も目の前に現れず不安になってきた。それでも進み続けると、ついに「こなら広場」の標識が!

こなら広場  「烏帽子形公園案内図」では、なんとなく「こなら広場」より先に「本丸広場」がありそうに見えたので「こなら広場」に出た時は少なからず動揺した。更に「烏帽子形公園案内図」によると、この広場は「こならの広場」となっている。しかし標識は「こなら広場」であった。

本丸広場 本丸広場(08時12分) 「烏帽子形公園案内図」では分かりにくかったが、「本丸広場」は「こなら広場」の奥にあった。

烏帽子形城復元予想図  烏帽子形城復元予想図。この付近は昔、烏帽子形城という城であったという。「本丸広場」の名の通り、ここが本丸跡なのだろうか。いずれにしても烏帽子形城に関する説明などは「本丸広場」に集中している。

烏帽子形城説明看板  こちらは烏帽子形城の説明看板。説明看板によると烏帽子形城は南北朝時代、楠正成(くすのきまさしげ)によって築城されたという伝説があるようだ。しかし烏帽子形八幡神社石段前にあった説明看板によると、楠正成が築城したという伝説は定かではないようだ。

本丸広場にある石碑  本丸広場にある石碑。

本丸広場からの風景  本丸広場からの風景。烏帽子形城復元予想図によると、ここが本丸跡なのだとすれば烏帽子形山山頂ということにもなる。恐らく、ここが本丸跡ということは分かっていて「本丸広場」と名付けられていると思うが、説明看板にもそうと説明されていないので断言は避けておく。

古墳広場 古墳広場(08時21分) 「本丸広場」を出発すると「烏帽子形公園案内図」の本丸通を進んだ。しばらく歩き脇に入ると「古墳広場」に到着。

烏帽子形古墳復元予想図  この広場は烏帽子形山から東に伸びる尾根山にあり、烏帽子形古墳という円墳がある。写真は烏帽子形古墳復元予想図。

烏帽子形古墳説明看板  こちらは烏帽子形古墳の説明看板。烏帽子形古墳は6世紀後半~7世紀頃に造られた横穴式石室の円墳であるという。

烏帽子形古墳  烏帽子形古墳。

古墳広場展望台  古墳広場には木造の展望台があった。少し怖かったが上ってみた。

展望台からの風景  展望台からの風景はこんな感じ。

烏帽子形公園東側小道 22:烏帽子形公園東側小道 「古墳広場」を出発すると次は烏帽子形八幡神社を目指した。「烏帽子形公園案内図」によると「しいの道」という道を通れば烏帽子形八幡神社まで近そうだ。しかし結局、「しいの道」は見つからずに「長尾根の道」という遠回りの道を進んだ。正確に言えば、ここが「しいの道」なのかな?という道はあったのだが、狭くて急で荒れ果てていたので入る勇気が無かった。「長尾根の道」をしばらく進むとアスファルトの小道に出る。久々に人里へ戻れた気分で一安心。 地図22:烏帽子形公園東側小道

烏帽子形八幡神社駐車場 23:烏帽子形八幡神社(08時36分) アスファルトの小道に出てしばらく歩くと神社があった。この神社が烏帽子形八幡神社。駐車場もあって、なかなか立派な神社だ。 地図23:烏帽子形八幡神社

烏帽子形城跡説明看板  烏帽子形八幡神社に向かって石段を登ろうとすると、石段の下に烏帽子形城跡の説明看板があった。「本丸広場」にあった説明看板には“烏帽子形城は南北朝時代に楠正成(くすのきまさしげ)によって築かれたと伝えられている”とあるが、こちらの説明看板では“文献に現れるのは室町時代から安土桃山時代”とあり、楠正成築城説には否定的のようにも思われる。

烏帽子形八幡神社鳥居  烏帽子形八幡神社鳥居。いよいよ石段を登る。

烏帽子形恵比須社  石段を半分ほど登ると烏帽子形恵比須社がある。

烏帽子形八幡神社石段  烏帽子形恵比須社付近から見た石段。

烏帽子形八幡神社  石段を登りきると拝殿があり、奥に本殿が見える。

烏帽子形八幡神社説明看板  烏帽子形八幡神社説明看板。

烏帽子形八幡神社南側鳥居  境内の中に南側へ向かう道があったので進んだ。やがて鳥居があって車道へ出る。

烏帽子形八幡神社看板  車道沿いにあった烏帽子形八幡神社の看板。そういえば、この看板、来る時に車の中から見た気がする。

烏帽子形公園出発  その後、駐車場に帰還。写真を見て頂くと車が随分停まっているが、これは公園内の掃除をしている人たちがいたためと思われる。出発したのは08時54分。時間も早かったので少し足を伸ばして高野山を登ってみることにした。

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河内長野市~高野町

 そもそも最初の目的地を烏帽子形公園にしたのは、高野山が近かったということもある。時間が早ければ高野山を見ることもできるので。案の定、烏帽子形公園を出発したのは09時前。これは高野山へ行くしかない。

 烏帽子形公園の駐車場を出発すると上田町北信号に戻り右折。国道371号高野街道を、来た時とは反対側に進んだ。

石仏南信号 24:石仏南信号(09時04分) この付近の国道371号は新道と現道だろうか、2つの国道371号が交わったり離れたりしながら進む。石仏南信号でも2つに分かれるのだが、右方向に進んだ。 地図24:石仏南信号

25:市脇信号 国道371号を進むと河内長野市から和歌山県橋本市に入る。橋本市に入ると市脇信号を右折。国道371号を離脱して国道24号に入った。 地図25:市脇信号

神野々信号 26:神野々信号(09時27分) 国道24号を進み神野々信号で左折。国道24号を離脱して市道に入った。 地図26:神野々信号

 その後、直進し続けると岸上橋北詰信号で市道は和歌山県道118号高野橋本線に変わる。更に進み続けると学分路信号で国道370号に。

 国道370号に入ると間もなく九度山町(くどやまちょう)に入った。九度山は信濃国(長野県)の武将であった真田昌幸・信繁(幸村)父子が関ヶ原の戦いの後に蟄居(ちっきょ)させられた場所。

 真田父子は私が住んでいる長野市の隣、現在の上田市の武将である。しかし信繁の兄である真田信之が初代藩主であった松代藩は長野市にあった。

 そんな訳で長野市にある松代町では毎年秋に真田十万石まつりが開催される。ところが九度山町ではちょうどこの日(2015年05月04日)真田まつりが開催されていたようで、看板を目にした。ちょっと寄ってみたい気もしたのだが、疲れもあって車を停める場所を探す気力が無く、結局、そのまま通過してしまった。残念。

九度山信号 27:九度山信号(09時31分) 国道370号は九度山信号で左折して進む。ここからは不動谷川沿いの山道を走ることになる。 地図27:九度山信号

28:花坂信号 実はこの頃、車のガソリンがかなり減っていることに気付いた。しかし、まだ大丈夫と思いながら進んでいると、思いのほか山道が長くて焦りを覚え始めることに。国道370号は、いよいよ高野町(こうやちょう)に入ったが山道はまだまだ続いた。やがて花坂信号で左折。国道370号から国道480号に入った。 地図28:花坂信号

 国道408号に入っても山道は続く。やがて山道が終わると国道408号の左手に高野山大門が見えた。今までの山道とは打って変わって街中へと入っていく。

 高野山大門を通過して少し進むとある信号で左折。深山隧道を通過して壇上伽藍(だんじょうがらん)の付近に出ると警備員が立っていたのでそちらに進んだ。どうやら坂の上にある高野山高校が臨時駐車場になっていたようだ(2015年05月04日現在)。

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高野山

29:高野山高校臨時駐車場(10時15分) 高野山高校は臨時駐車場に使われていたが、2つのグランドの他、広い場所に何箇所か駐車場があった。しかし自分で停める駐車場を選ぶのではなく、警備員に誘導される方式。高野山高校は坂に沿って建っているので駐車場も下から上まである。下に停められればお寺に近いし帰りも坂を上らずにすむ。しかし私が車を停めたのは一番上。まあ健康な私は歩くべきでしょう。

 ところで高野山高校到着時における前回給油時からの走行距離は573.7kmであった。今回は出発時に給油しなかったので、出発時からの走行距離は495.6km。出発時に給油していれば700km近く走れたと思うが、80km近く通勤で走っているので、どこまで走れるのか読めない面もあった。まあ、それはそれ。とりあえず高野山散策に出発。 地図29:高野山高校臨時駐車場

壇上伽藍入口 30:壇上伽藍(10時24分) 高野山高校のある坂を下りて少し歩くと壇上伽藍がある。高野山金剛峰寺は弘仁7(816)年、空海(弘法大師)によって開創されたという。高野山金剛峰寺の造営にあたり空海は壇上伽藍から始めたと伝えられている。 地図30:壇上伽藍

壇上伽藍  正面に見える建物が金堂。左側の赤い建物は根本大塔(こんぽんだいとう)。右側は御影堂(みえどう)。

根本大塔  根本大塔。高野山のシンボル的存在。開創の頃(816年)より伽藍中心の塔として創建が着手されたという。空海と真然、二代を費やして887年頃に完成。

金堂東側から根本大塔  こちらが根本大塔の正面か。現在の根本大塔は昭和12(1937)年に再建。平成8(1996)年に外壁の塗り替えが完成したという。

金堂  金堂をグルっとまわる。こちら側が正面になるのだろうか。この金堂は高野山一山の総本堂。年中行事の大半がここで勤修されるという。現在の金堂は昭和7(1932)年に再建。昭和9(1934)年に落慶。

中門  高野山の総門は大門であるが、壇上伽藍の正面にあたる門が中門。高野山開創期の819年創建というが焼失と再建を繰り返して1843年の焼失以降は礎石を残すのみであったという。現在の中門は鎌倉時代の建築様式をもとに平成22(2010)年10月より再建が始まり、平成27(2015)年に完成。04月02日には、くぐりぞめが行われたという。つまり、まだ再建されてから一月ほどということか。

中門説明看板  中門の説明看板。

金剛峯寺山門 31:金剛峯寺(10時44分) 壇上伽藍を出て東に向かい歩くと金剛峯寺がある。ちなみに総本山金剛峯寺という場合は金剛峯寺だけでなく高野山全体を指すという。写真は金剛峯寺の山門。昔はこの門から出入りできるのは天皇・皇族、寺の重職に限られていたとか。現在でも一般の僧侶は、右の小さな入口を利用しているという。 地図31:金剛峯寺

金剛峯寺説明看板  金剛峯寺説明看板。

天水桶  金剛峯寺主殿(本坊)へ。屋根の上に桶が見えるが、これは天水桶というらしい。天水桶は普段から雨水を溜めておき、火災が発生した際屋根の上に水をまいて湿らせて、少しでも焼失を食い止めるものであるという。

金剛峯寺主殿  金剛峯寺主殿(本坊)。真ん中の大きな入口が大玄関。天皇や皇族、高野山重職が出入りしたという。その先にある右側の入口が小玄関。こちらは上綱(じょうこう・僧網のうち上位者のこと)の出入り口。

奥の院表参道一の橋 32:奥の院(11時08分) 金剛峯寺の次は奥の院に向かう。かなり歩いたように感じるが、翌日に歩く山の辺の道を思えば何のことはない。やがて奥の院の入口にあたる一の橋に到着。 地図32:奥の院

奥之院と一の橋説明看板  奥之院と一の橋説明看板。

一の橋  一の橋。説明看板によると正式には「大渡橋」または「大橋」という。一の橋から御廟まで約2kmの参道には何百年も経た老杉が両側にそびえ、そのもとには20万基を超える墓碑が立ち並ぶ。

汗かき地蔵と姿見の井戸  参道を進み中の橋を渡ると地蔵堂がある。中には汗かき地蔵が祀られているのだが、この汗かき地蔵、世の中の人々の苦しみを身代わりになって一身に受けているのでいつも汗をかいていると伝えられている。また地蔵堂の右側にある小さな井戸は姿見の井戸とと呼ばれる。この井戸を覗き込んで自分の顔が映らなければ3年以内に死んでしまうとか。そして、この水で目を洗えばどんな眼病も治ったと伝えられている。

御廟橋  更に参道を進むと御廟橋に達する。この橋を渡ると弘法大師空海御廟への霊域に入る。ちなみに、ここから先は撮影禁止です。

御廟橋説明看板  御廟橋説明看板。そして御廟を参拝した後は参道を引き返して駐車場を目指した。帰りは一気に高野山高校の臨時駐車場に停めた車まで歩いたが、距離は4~5kmくらいであっただろうか。

駐車場に帰還  高野山高校臨時駐車場に帰還したのは12時23分。車に戻るとこの日の宿泊場所を探すことに。この日は翌日の山の辺の道散策に備えて天理市周辺に泊まりたいところであるが…。それにしても奈良県はビジネスホテルが少なくて大変。ビジネスホテルは奈良市にこそ多少あるものの、その他には殆ど見当たらないといっても過言ではないかもしれない。

 私は2012年の5月にも奈良県に来ているのだが、その時は奈良公園近くのビジネスホテル奈良ワシントンプラザホテルと、大和郡山市のビジネスホテル大御門に宿泊した。せっかくなので今回は前回とは変えて少し離れた場所に泊まりたいところだが…。

 翌日に山の辺の道へ向かう前に法隆寺を散策することを視野に入れて、結局、この日は大和郡山市のいかるがホテルで予約をとった。ところでこのホテル、予約をとった時に、こちらが話しているのにも関わらず途中で電話を切られたりして「ん?」と思ったが、なかなか珍しいホテルであった。さて、どんなホテルなのか、乞うご期待。

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高野町~大和郡山市

 高野山高校臨時駐車場を出発したのは13時02分。ガソリンの残量を心配しながら往路を引き返した。しばらくは往路で辿った道を引き返す道程なので省略させて頂く。

 橋本市の国道24号・371号交点市脇信号まで引き返した。往路では左折方向(大阪府河内長野市方面)から来たのだが直進。ここで往路とは別ルートとなった。

 ところでガソリン残量が心配なSTi。何度かガソリンスタンドもあったのだが色々あって通過し続けた。県境近くまで来て、ようやくセルフのガソリンスタンドに入ったのだが、なんとこのスタンド、お釣りが出ないという。満タンに入れないのであれば関係ないのだが、私はガソリンの給油で燃費を計算していたので、満タンに給油できないのはNG。結局、給油せずに再び奈良県へと向かった。

 

奈良県に突入 33:奈良県に突入(14時18分) 国道24号を進むと奈良県五條市に入る。その後も京奈和自動車道に入ったり現道に戻ったりしながら国道24号を進むことになる。国道24号は五条市、御所市(ごせし)を通過すると葛城市(かつらぎし)に入った。 地図33:奈良県に突入

34:東室信号 葛城市と大和高田市の境にある東室信号で国道24号は右方向へと進む。しかし私はここで直進。国道24号を離脱して国道166号に入った。 地図34:東室信号

35:片塩ロータリー信号 大和高田市の片塩ロータリー信号で直進。ここからは奈良県道5号大和高田斑鳩線を進む。 地図35:片塩ロータリー信号

ダイヤ昭石セルフ広陵町1 36:ダイヤ昭石セルフ広陵町(15時18分)  奈良県道5号を進むと広陵町(こうりょうちょう)に入る。広陵町に入るとすぐに走行車線側にガソリンスタンドがあったので入った。そう、これまでも反対車線には何軒かガソリンスタンドはあったのだが入らなかったのだ。まだ、そこまで追い詰められていなかったということか?

ダイヤ昭石セルフ広陵町2 さて、注目の給油量は56.14Lであった。前回給油後の走行距離は632.7km。この区間の燃費は11.27km/Lということになる。しかし今回の旅に出る前、既に78.1km走っていたので純粋に旅の燃費とはいえない。ところで結果論から言えばガソリンの残量は3.86Lであった。燃費から計算すれば43.5kmまだ走れたことになるが、実際運転していればガス欠にならないか、ドキドキものである。 地図36:ダイヤ昭石セルフ広陵町

37:法隆寺東信号 奈良県道5号は広陵町を通過すると河合町(かわいちょう)を経由して斑鳩町(いかるがちょう)に至る。斑鳩町の法隆寺東信号で国道25号に接続。ここで右折して国道25号に入った。 地図37:法隆寺東信号

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いかるがホテル

いかるがホテル 38:いかるがホテル(16時00分) 間もなく、いかるがホテルに到着。いかるがホテルは斑鳩町と安堵町(あんどちょう)、そして大和郡山市の境に位置する。住所的には大和郡山市。見た目は普通の個人経営ホテルといった感じだが…。 地図38:いかるがホテル

駐車場に帰還  いかるがホテルに到着。ところでこのホテル、領収書には「ホテルいかるが」と書かれていたが、インターネットで検索すると「いかるがホテル」でヒットする。まあ、どうでもよいことだが。いかるがホテル到着時のトリップメーターは567.2km。つまり一晩と一日でそれだけ走ったということ。少し驚いた。

駐車場に帰還  さて、このホテルのレビューを書かない訳にはいかないでしょう。

 このホテル、宿泊できる建物は2つあるようだ。母屋(メインの建物というべきか)には当然宿泊できるのであろうが、その裏に仮設ではないかと思うような建物がある。私はそちらに宿泊した。

 この建物、2部屋に対して1つの風呂とトイレという構成。私の部屋の隣には宿泊客がいなかったようで幸いだったのだが…。バス・トイレの話はまた後で。

 部屋はこんな感じ。決してバイトで頑張りながらひとり暮らしをする学生のアパートではありません。もちろんインターネットの設備など皆無。タオルは置いてありましたが、その清潔感には疑問符。ドライヤーや髭剃りなどは当然の如く有り得ない。

駐車場に帰還  さあ問題のバス・トイレ。写真では分かりにくいかもしれないが、あまりにも汚い。私が車中泊をせずに高いお金を払ってホテルに泊まるのは、キレイなトイレとシャワーを使いたいがためである。それが、これではあまりにも…。トイレは少し掃除してからでないと気持ち悪くて使えなかった。シャワーは結局使わず。…?そういえば、そもそもシャワーの水(お湯)が出なかったような?それでシャワーは掃除できなかったのだ。

 かなり厳しい評価になってしまい読んでくださった方々に不快な思いをさせてしまったかもしれません。申し訳ございません。インターネットで検索すると口コミがかなり載っていると思いますので参考にして頂き、興味のある方は宿泊されてみてもよろしいかと…。しかし、普通のホテルをお探しの方にはお勧めできないかもしれません。コンビニが隣にある(ほとんど敷地内)点は便利なのですが…。

 インターネットで調べ物もできないことであるし、起きていても仕方ないので明日に備えて寝ることにした。明日は良い日になりますように。

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